satosakayaの感想

感想は恐らく間食のような存在

劇場版『ヴァイオレット・エヴァーガーデン』 本編&舞台挨拶 感想

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 観てきました。機会に恵まれ、9月19日(土)に開催されたライブビューイング付きの回を観ることが出来たので、まずは舞台挨拶の感想から書いていきます。

 実は舞台挨拶というものを観るのもライブビューイングを観るのも初めてでドキドキしながら開始を待っていたんですが、いざ始まってみると「あっ、なんか凄い馴染みのある雰囲気!」という感覚になりました。例えるなら、YouTubeやニコ生での生配信が劇場の大画面に映ったような雰囲気と言いますか……いやまあそりゃそうなんですけどね!! 滅茶苦茶身構えてたせいか気が抜けました。
 舞台挨拶はスタッフさんたちのお話がとても興味深かったです。ヴァイオレット役の石川由依さんがヴァイオレットっぽい髪型と衣装でしたね。TRUEさんは別名義で書かれる歌詞が大好きでファンなんですが、こうして話すお姿を見ると「お綺麗で作詞も歌も出来るスーパーヒューマンとは知ってはいたけど、ちゃんと実在してたんだなあ」と謎の感動がありました。

 舞台挨拶の話は一旦終わりにして、本編の話に移ります。
 個人的にMVPは兄上(ディートフリート)でしたね……。兄上ってTVシリーズだと刺々しい人という印象が強めに残っていたんですけど今回の劇場版では随分と丸くなっちゃってまあ……(?)。ヴァイオレットとの微妙な距離感だとか、ギルベルトとの幼少期の回想とかでかなり新たな一面を知れた気がします。同時に周りの人に誤解されるシーンも多くて、そこは悲しい気持ちにはなったのですが自業自得の部分もあり……でも悪い人間じゃきっとないんですよね。他の言葉で表すならば「不器用な人」とかなんでしょうけども、個人的にはあんまり知ったように登場人物を評価したくないんですよ。
 唐突ですが私は小説を書いていまして、一人称小説(ぴんとこない方へ簡単に説明すると主人公など登場人物の一人が視点となりその人物の口調で進んでいく小説。視点の人物が知ることのみ書ける)はかなり書いたと自分では思っているので、一人称小説に対しての理解もそれなりには深まったかなと考えています。気付いたのは、「一人称小説だからと言ってその視点の人物の全てを書ける訳では無い」という点です。確かに視点の人物に関しては三人称小説(こちらは所謂神、もしくは第三者視点の小説。神的存在の視点なので書けることに制限があまり無い)よりも深い所まで書けます。でも逆に言えばそれだけです。どの視点でも小説は全てを書ける訳じゃなくて、常に「ここの場面の部屋はどのくらい細かい所まで描写するか」などの情報の取捨選択をしなくてはならない。すると当然、文章では拾い切れなかった情報が出てきます。恐らくこれは漫画やアニメにも当てはまることかなって思います。小説を書き始める前もなんとなく感じてはいたことでしたが、小説を自分で書いたおかげで、より現実のものとして理解しました。
 私が見てきた兄上が兄上の全てではないし、だからこそ兄上の全てを知っている訳でも無い、お話の作者さんでもない私が知ったように「不器用な人」だとか勝手に評価するのは烏滸がましいよなあと感じるんですよ(ただこれ最近アップデートされた考え方なんでどこかで勝手に評価してしまっているかもしれない……)。なのでディートフリート・ブーゲンビリアという人間に対して口にすることが可能なのは、「誤解されがちな人」みたいな割りと表面的で客観的な事実くらいですね。
 まだ兄上の話は続くんですが、終盤ギルベルトに『家は自分が継ぐ』と告げたシーンで現実の儘ならなさを感じました。いやだって兄上はずっと家に反抗してきたんじゃないですか……その姿勢を曲げて弟の背中を押す兄……兄弟…………。誰かが家は継がなくちゃならないから、だったら自分が継ぐっていう決意がかっこよくて、ほんのちょっと悲しかったです。まあ兄上を取り巻く環境や心境も変化しているでしょうし、彼にとってはそこまで悲愴な決意ではなかったのかもしれません。

 ここからは感動ぶち壊しの発言をするので嫌な予感がした方は何行か飛ばしてください。飛ばしましたね!?(早い)

 ギルベルトが訪ねてきたヴァイオレットへ『自分は会う資格が無い』的な返事をしたシーン、正直な感想を述べると「兄弟揃ってボーイズラブの受けみたいなこと言ってんな……」となってしまいました。劇場版で兄上を久しぶりに目にして「こんなにボーイズラブの受けみたいな色気あったっけ!?」とも考えていたので、その感想が強く心に残ってしまっていてですね……まあ私はボーイズラブの受け攻めにあんまりこだわり無いのでどっちでもいいんですけど(?)。最後辺りのホッジンズとベネディクトも「もしかしてこの二人が……??」となって感動すればいいんだか欲望に素直になればいいんだか情緒がしっちゃかめっちゃかでした。

 と、ボーイズラブの話題はこのくらいにしておいて次の感想に移ります。
 ヴァイオレットとギルベルトの物語、ユリスとリュカの物語が並行して描かれていた本作。ユリスはリュカと会うことを拒んでいましたが、ここは訪ねてきたヴァイオレットを追い返すギルベルトと重なります。最初は「どうしてこの二つの物語を一つの劇場版の中へ取り入れたんだろう?」と疑問を抱いていました。でも観ていく内に二つの物語の共通点がはっきりとしてきて、「この効果を狙っていたのかもしれないな」と思いました。
 先述の二つの物語とは少し外側に位置するデイジーの物語もありましたね。TVシリーズでアンがどんどん成長していく場面はびっくりしましたけど、劇場版へ繋げるためでもあったのかなと。デイジーが会ったお兄さんはユリスの弟の子孫だったりするのでしょうか。恐らくデイジーの生きる世界ではヴァイオレットたちはほとんどこの世を去っているのだと思うと寂しいです。

 劇場版で一番演技がすごいと感じたのは、ヴァイオレットとギルベルトが対面してヴァイオレットが泣くシーンでの石川さんの演技です。舞台挨拶でも石川さんがこのシーンに触れていましたがやっぱりかなり力を入れた所だったんだなあ。ヴァイオレットの、想いが溢れすぎて上手く言葉を紡げない感じがすごく伝わってきました。
 TVシリーズからずっとヴァイオレットとギルベルトのお互いに持っている「愛」はどういう意味なのかイマイチ分からなかったんですけど、劇場版で「恋人への愛」寄りなのかなって結論になりました。まあ愛の形は人それぞれですし、決まった形に収めようとしなくてもいいんじゃないかと考えてます。

 全体のまとめとしての感想だと、個人的に色々う~んって部分もあったのですが、そこは私の好みの問題が大きいんですよね。そこを引いて見るなら一つの締め括りとしてとても素晴らしい劇場版でした。
ヴァイオレット・エヴァーガーデン』は「泣ける作品」って紹介のされ方をよく見掛けますが私はぶっちゃけ、どの作品でもそういう紹介の仕方は好きではないんです。作品を見て泣けるかどうか、どんな感情を抱くかっていうのは人それぞれなので見る前から決めてしまうような言い方はちょっと嫌だな~という理由です。私個人は確かに感動出来る作品って印象を持ってますけど、それを他の人にも強制したくはありません。
 もしこの感想をお読みいただいた方で劇場版を観に行くか迷っている方が居ましたら、一度劇場へ足を運んでみてください、と軽くおすすめだけしておきます。「絶対に感動する」とかそこまでの責任は持てません。ですが、TVシリーズや外伝を視聴した方が観れば何かしらの答えを得られる劇場版だと思います。


 という訳で劇場版の感想でした。ひねくれた文章になってしまいましたけど「ひねくれてない万人受けするような文章は他の人が書いてくれるやろ!」なスタンスで感想も小説も書いているため今後もこんな感じでやっていきます。
 入場者特典の小説は外伝の時は残念ながら貰えなかったので、今回貰えた時「入場者特典の小説……実在していたのか……」ってなりました。これからゆっくり読みます。